Masiは90年以上にわたり 品質と革新の代名詞として存在しています。 Faliero Masi、彼は 優れた才能、先見の明に恵まれ 彼の作る自転車のとりこになったライダーは数多く、また 彼自身 それぞれのライダー個人特有のニーズに対して献身的に対応し ‟自転車の仕立て屋“ と呼ばれるほどで、史上最高のカスタムバイクビルダーの1人として評価されています。
1973年、マジはカリフォルニア州カールスバッドに移り、彼が注意深く見守る中スティールレーシングバイクを生産する新しい時代が到来します。 中でも Gran Criterium は Masi ブランドのフラッグシップモデルとなり、彼の自転車に対する情熱と個性のシンボルとなっています。革新、伝統、そして走行性を突き詰める設計、これらに対する追求と献身は現在も我々のDNAの中に継承され、我々の基本的価値観を形成しています。
簡単に言えば
It’s all about the ride.
これがMasiです。
1900 – 1920
1908年5月11日、フィレンツェ北西部のコミューン セストフィオレンティーノで生まれました。 Faliero Masiの育ったその当時の若い世代にとって 自転車は生活に刺激を与える新しいものでした。 1870年代に自転車レースがフィレンツェで開催されるようになり、当時フィレンツェでは 地元の愛好家、ジャーナリスト、自転車職人たちは 共同で当時の一般の人の目には奇妙にも見える ハイホィール自転車で デモンストレーションレース、ツアーなどを 開催するようになりました。 1900年代初頭に至るまでに 自転車のデザイン、設計、製造技術は 飛躍的に進歩しました。また、競技レベルの組織立ったレースが その地方の数多くの場所で開催されるようになり, Velopedisticaとして 地方の人々の心を深くつなぎました。
1920 – 1925
彼の多くの友人と同じように 若いマジは自転車レースを始め 1920年代初め頃の間は トスカーナ地方で開催されるユースのチャンピオンシップに参加し、最終的には全国大会に参加するようになりました。
1925 – 1935
彼が情熱を注いだのはレーシングバイクを作ることだけではありません. Campostriniの工房で見習いとして働いている間も自分自身のデザイン、設計を視野に入れながら プロの競技者として戦うことにも情熱を注ぎ続けました。
1935 – 1945
イタリアで若きフレームビルダーが次々と生まれる中で ファリエロの素晴らしい才能の評判は 次の新たなステップへと導いたのです。 それは ミラノにあるVigorelli 自転車競技場地下に 自転車店をオープンすることでした。
1945 – 1960
マジの 自転車作りに対する静かではあるが情熱てきな献身は 世界最速のレーサーたちからも評価を得るようになりました。その結果 Vigorelli工房は さまざま国、チーム、分野のレーサー達が集まる場所となり、そこで 彼らは どのようにより優れた自転車を作り出すか マジに助言を求めたのです。
Fausto Coppi riding a Masi built frame for Team Tricofilina in 1959
マジはいつも彼らとともにいました。ミラノの有名なVigorelliスタジアムの小さな隅で 先見の明のある若いトスカーナ出身の男は スポーツの歴史の中で最も偉大なアスリート達と 静かに、お互いに大切なパートナーシップを築いていました。
Maspes, Magni,
Coppi, Harris, Van Looy,
Bobet, Bahamontes,
Nencini,
Pambianco,
Simpson, Adorni,
and
Merckx
彼らのために マジは フレームを作製しました。
Faliero (Right) and Italian Sprinter Aldo Bini
「マジは史上最高のフレームビルダーでありバイクフィッターだよ。 彼が自転車に乗せたすべてのライダーは 完璧にポジショニングされるんだ。 彼には才能があり、 彼は、彼の持つ最高水準の自転車を作る技術を多くの人々に教えたんだ。」- Irio Tommasini
Eddie Merckx on a steep climb during the Monument Race of Liege-Bastogne in 1969. Flanked here by Roger Swerts and Victor Van Schil.
All three riders are seen on Masi frames that Merckx would often collect en masse from the Vigorelli himself.
1960 – 1970
Velo Sport Cyclery, the first Masi Dealership in the US and the Lake Merritt criterium, one of the many events created and organized by the shop and it’s owner Peter Rich.
1960年代半ば、アメリカでのサイクリングブームが広がり始めます。 バイクレーサーの新しい世代がそのブームに拍車をかけ 世界中でヨーロッパの自転車ブランドに対するニーズが高まっていきました。
1971-1972
1971年夏、Marcel CalbornとRoland Sahmが偶然出会いその後 彼らは南カリフォルニアで自転車の製造を開始するための準備を行います。 Sahm, Calborn そいて アルミ業界の大物G. Roger Smith 3名は 事業のパートナーとなるイタリアの自転車ブランドを探し始めます。 そして1972年12月20日、Faliero MasiとSahmはMasiのブランドを アメリカで立ち上げ 製造販売することに合意しました。 マジは 自分の技術を磨き続け、伝統と自転車製作の方法論を大切に守り新天地アメリカでも そのブランドにおける高品質基準は存在し続けています。
1973
1973年9月、Gran Criteriumsをアメリカの地で生産開始するための最後の作製器具と共に Falieroはカールスバッドに降り立ちました。 間もなく マジには Mario Confenteと他2名のアシスタントが付き、至急この新しいアメリカのチームにできる限りの技術を教え込まなければなりませんでした。 クリスマスまでには 最初の生産25本のGran Criteriumsを作製することができました。 フレームはすべて57㎝のサイズで 頭に”S1.”が付くシリアルナンバーが刻印されています。
1975
1975年に世界初のインベストメント鋳造ラグを発表。 業界標準となる画期的な瞬間でした。
1977
Ted Kirkbride (far right) representing the United States at the Vuelta Mexico in 1951
1977年夏、Roland Sahmは Cicli Masiの未来を Masi USA創業以来交流のあった 元レーサーTed Kirkbride に託しました。 Masi USAの新しいオーナーとして、彼はMasi を次の成功の時代へと導き、アメリカの自転車製造業を牽引していきます。